三国志(46)

魏呉の攻撃を封じこめた蜀に一大事が起こった。
南蛮王孟獲が十万の軍勢を率いて益州南方に迫ったのを機に、益州三郡が反蜀連合を組み、永昌に攻めかかってきた。
これを見過ごせない孔明は自ら五十万の兵を率いて、南蛮討伐に向かった。
巧妙な離間の策を用いて益州の乱を平定した孔明は、さらに南蛮の奥深く進軍し、孟獲との戦いに挑む。
魏延が捕らえてきた孟獲を孔明は釈放する。
陣へ戻った孟獲は、瀘水の対岸に一大防塞を築く。
孔明は持久戦にもちこみ、南蛮軍の補給路を断った。
慌てた孟獲は董茶奴をさしむけるが、董茶奴は孔明に命を救われた恩義を感じて戦わず、百杖の罰を受ける。
これを見た頭目たちは孟獲に反発、董茶奴と示しあわせて孟獲を捕らえ、孔明に差しだした。
孔明に四たび放たれた孟獲は、禿竜洞の朶思王の力を借りる。
炎暑の中、禿竜洞へ向かった蜀軍は、毒泉の水にやられて病人を続出させる。
しかし孟獲の兄・万安隠者の忠告に助けられ、孔明は地下水を確保しながら前進を続け、ついに禿竜洞の地に入った。
孔明は降伏した楊鋒一族を使い、宴席で女兵士の舞に見とれている孟獲を捕らえた。
城も兵もすべて失い、蛮都を逃げ出した孟獲は、烏戈国の兀突骨を頼る。
兀突骨には矢も刀も通さない鎧をまとう精鋭・藤甲軍がいた。
孔明は魏延に、徹底して負け続けるように命じる。
兀突骨を盤蛇谷へ誘いこんだ孔明は、最後の切り札を使い、七たび孟獲を捕らえ心服させる。
都に凱旋して一年、孔明は劉禅に「出師の表」を奉じる。
仲達追放により、魏の脅威は取り除かれた。
孔明は「出師の表」に従い、三十万の大軍を率いて北伐を開始した。
魏では夏侯楙がこれを迎え撃つ。
趙雲は鳳鳴山で魏軍を蹴散らし、駆けつけた関興・張苞と共に追撃を重ねる。
敗走した夏侯楙は南安城に逃れ、城に閉じこもる。
中軍を率いて到着した孔明は、南安攻略の策を魏延らに授ける。
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