劇画人間革命(39)
昭和29年の秋、日本の政局は混迷の中にあった。
……いつの時代も政治家たちは権力の争奪に専念するばかりで、常に民衆が犠牲になってきた。
人類は愚行を繰り返して今日に及んでいる。
いつの時代も、人間は政治権力の魔性に魅入られ操られてきたといってもよい。
しかし、これは単に政治の次元で解決のつく問題ではない。
政治そのものに巣くう魔力が問題なのだ。
この魔というものは、政治を支配する者、つまり政治家の内に巣くっている。
幸福には絶対的幸福と相対的幸福という二つのものがあるのです。
相対的幸福はまだ本当の幸福ではありませんが、皆、それを幸福なものだと思い込んでいるのです。
「あなたには利の価値、美の価値、善の価値を創造する力がある。
美・利・善の価値が皆そろうと、どこにいても、何をしても、生きていること自体が心の底からうれしくて、体から盛り上がる生命力が湧いてきます。
その時、本当の楽しみが生まれてくるのです」 絶対的幸福とは生きている、そこにいるそれ自体が幸せなのです。
蓮華寺事件がまだ解決の糸口も見えていない頃、北海道小樽である事件が突発した。
些細な事件は思いがけず大きくなり、日蓮正宗と日蓮宗身延系との間で、法論が執り行われることになった。
小樽では法論における誓約書が交わされたというが、東京の本部では、一向にその状況を把握することができない。
そこで、ふたりの青年部員が斥候として現地へと飛んだ。
勝利への万全な布石を配し、小樽法論が行われた。
「作戦は想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てねばならない。
勝負は今ここで決するといっていい! 知恵は今こそ必要なのです。
後から出る知恵は知恵ではない。
それは後悔というものだ。
悔いのない戦いとは、事前の作戦の優劣にかかっているのだ。
これから将来にわたっての広宣流布の法戦も、いつもこの原理を忘れてはならない」本当の日本の平和と安泰のためには、真に民衆のために体を張っていく妙法の使徒を数多く輩出しなければなりません。
これは教育の分野にも、また芸術や化学といった世界にも通ずることです。
私は政治のための政治をしているのではありません。
あくまでも日本の幸福のため、民衆の福祉のために戦うのです。
政治はそのための手段です――広宣流布は人類の平和と文化を推進していく総合的な戦いです!続きはこちらから⇒ttp://www.ebookjapan.jp/shop/book.asp?sku=60009353